生麦事件

攘夷の思想から、外国人が襲われるという事件が多発していました。

ヘボンさんも、いつ自分が襲われるかもしれないと不安な日々を送っていたことでしょう。

そして歴史的にも重大な事件が起こります。「生麦事件」です。

故郷の薩摩に帰ろうとする島津久光一行の大名行列が、東海道生麦村を通りかかりました。そこに馬に乗って川崎大社まで遠乗りを終えてきたイギリス人4人組みが鉢合わせをしたのです。

当時大名行列を迎えたとき、人々は土下座して列を見送ることになっていました。また行列を乱すものがいれば、大名には斬り捨てご免(斬って殺しても罪にはならない)の特権を与えられてもいたのです。

一方イギリス人たちが幕府と交わした修好通商条約では、所定区域内での自由な行動が認められているのです。イギリス人たちは、大名と会ったからといって土下座する必要などなかったのです。

その結果、不幸な事件に発展してしまいました。4人のイギリス人のうち、1人は斬殺され、2人は重症、ボラデールという女性が命からがら横浜居留地に逃がれるということになったのです。

このとき、ヘボンさんは成仏寺で日本語の研究をしていましたが、2人の重傷者が運び込まれた領事館に呼び出されました。

日本刀で肩などに深い傷を負ってた2人を治療したのがヘボンさんだったというわけです。

この生麦事件はその後、イギリスと薩摩藩の戦争に発展し、激しい砲撃戦を交わした薩摩藩は、イギリス艦隊の攻撃力に驚かされました。

世界の力を見せ付けられ、鎖国により閉じこもっていてばかりもいられないと感じたのでしょうか。イギリスに10万ドルの賠償金を支払い、講和を結ぶことになりました。

攘夷の看板を下ろすことになった薩摩藩は、明治維新の原動力の一つとなります。生麦事件をきっかけにして、鎖国の解かれた、開かれた日本に向かって一歩足が踏み進められたと言ってもよいでしょう。

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