辞書を作る

日本にキリストの教えを広めることを目的にやってきたヘボンさんでしたが、命の不安に加えて大きな問題が言葉の問題でした。

聖書の言葉を伝えるためには、日本の言葉がわからなければ伝えられません。

ヘボンさんは、聖書の言葉を正しく日本語にして伝えるためにも、まずは日本語の辞書が必要だと考えたようです。病人の診療を続けながら、日本語の勉強を始めたのでした。

ヘボンさんは日本へ来る前、5年間にわたる中国での宣教の経験がありました。語学が得意なヘボンさんは漢字についてもそれなりの知識があったようです。

日本語には漢字が使われていますので、中国語の知識を手がかりに日本語を理解するのは簡単だと思っていたのです。

しかし日本人は漢字を日本語に取り込み、まったく別の国語に変えていたのです。ヘボンさんも構造からして中国語とは全く違う日本語にとまどったようです。故郷に宛てた手紙には日本語は漢文よりも難しく、予想していたよりもはるかに難しい国語だ、と書かれていました。

ヘボンさんは相当の苦労をしながら、単語を収集し、分類定義し、日本語の文法法則や慣用句の習熟につとめ、2万775語という見出し語をまとめ上げました。

原稿ができたところで、もう一つ問題がありました。印刷の問題です。

当時日本には浮世絵や肉筆画を和紙に印刷する木版印刷の技術はありました。しかし、小さな文字を何万語も鮮明に印刷する金属版による印刷技術もなければ、辞書に適した平滑な(=表面の平たく均一な)洋紙もなかったのです。

日本国内の様々な印刷方法を検討しましたが、不可能だという結論に達したヘボンさんは海外の技術に頼るしかないと結論付けました。

そこで、実際中国の上海まで海を越え、中国人の印刷工の手によって印刷を行わせたのです。

印刷を行った中国には、英字と漢字の活字はあっても「かな活字」がありません。まずはそれを作らせることから始め、日本語も英語もわからない印刷工に指示し、刷り上りに間違いがないかという校正までヘボンさんが行ったのです。

七年間の苦労の末、作り上げた世界初の和英辞書「和英語林集成」はこうしてできあがりました。

初版の1500部は一部30ドルという当時としては高価なものでしたが、たちまち完売となり、本屋では42ドル、62ドルという高値さえついたということです。

> 次へ