聖書を翻訳する

マルチンルターの宗教改革後、キリスト教における聖書はただひとつ「神の言葉」とされました。それまで中世の一般信徒は神父から聞かされる言葉を神の言葉とし、直接聖書の言葉を読むということはあまりなかったのです。

宗教改革後、プロテスタントの人たちは個人個人が聖書を読み、そこから神の意思を読み取るということが大切だったのです。

ヘボンさんが言葉にこだわっていたのもそういう事情があり、辞書の次にとりかかるのは聖書の翻訳という仕事でした。

当時の日本には完全な日本語の聖書はなく、部分的にいくつかの福音書があるだけでした。しかし部分的であっただけではなく、海外で日本人漂流者によって得られた日本語の知識により訳されたものであるなど、内容的にも不完全なものであったようです。

日本に先駆けて中国で漢訳されていた聖書を、一部の日本の知識人が読むことはできましたが、和訳された完全な聖書はなかったというわけです。



ヘボンさんは宣教師の仲間達といっしょに、新約聖書のマルコ伝を翻訳することから始めました。

辞書の制作により、日本語の知識が深まっていたヘボンさんは続いてヨハネ伝、マタイ伝と翻訳を行い、出版にこぎつけたのです。

ヘボン先生は聖書の翻訳と出版を各教派宣教師の共同事業として行うのが理想と考えていました。そして明治5年、第一回のプロテスタント各派合同の宣教師会議が開かれ、新約聖書を共同で翻訳することが決まったのです。

しかしここにも言葉の問題、翻訳の難しさがありました。

ヘボンさんたちが日本語にくわしくなっても、「GOD」に当てはまる日本語自体がないので問題になるのです。

日本語では「神」と訳されますが、日本では800の数を超える「神」がおり、偉人がなくなれば「神」として祭られたりします。これは聖書でいうところの唯一の「神」という意味とは全く異なるのです。

いくつもの翻訳の問題を抱えながら、意見の行き違いもあったようです。翻訳の仕事に関わるたくさんの人が入れ替わりました。

新約聖書の翻訳が終り、旧約聖書の翻訳が完成するのは明治20年のことでした。

ヘボンさんが成仏寺でコツコツと聖書の翻訳に取り掛かってから20年もかかったことになります。

最初から旧約聖書の出版にいたるまで、翻訳委員として事業に関わったのはヘボンさんただ1人だったのでした。


> 次へ