最初の日本語新聞

横浜にはさまざまな日本初があります。アイスクリーム、ガス灯、クリーニングにボーリング…外国人の居留地で発展し、外国人が初めて持ち込んだいろいろなものが、日本初として横浜で誕生しました。

日本語による新聞も横浜で最初に誕生したのです。

ヘボンさんが日本を訪れた当時、世話になった日本人にヒコゾウ(Joseph Heco)という通訳がおりました。ヒコゾウは船乗りでしたが船が難破・漂流し、アメリカ船に助けられ、アメリカ人として帰化した人物です。

そのヒコゾウが久しぶりに現れ、日本語新聞を作りたいが、正しい日本語が使える日本人を知らないかというのです。アメリカ人はビジネスをするにも、普段の生活にも新聞からの情報を取り入れ生活の一部になっている。日本人向けに日本語の新聞を作れば当たるだろうと思っていたのです。

ヒコゾウは子供の頃、寺子屋で読み書きを習ったことはあったのですが、若くしてアメリカに渡ったことで、正しい日本語の新聞の原稿を書くことはできず困っていたのでした。

ヘボンさんは、日本生まれのヒコゾウから日本語の上手な日本人を知らないかという相談を受け、変な感じがしたかもしれません。しかしふさわしい人物を紹介してあげました。

ヘボンさんのもとで和英辞書を作った岸田吟香(きしだぎんこう)という人です。岡山県出身の武士で儒学、漢学、蘭学を学び、教養のある人だったのです。

イギリスの船が入港するたびに、その英字新聞を和訳して発行するという形で、日本初の日本語新聞である『海外新聞』が誕生しました。

ヘボンさんが直接関わったわけではありませんが、日本初の新聞誕生には、ヘボンさんが重要な役割をはたしていたというわけです。

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