教会を作る

1873年、ヘボンさんはヘボン塾塾生をはじめ18名で「横浜第一長老公会」を設立しました。3年後には横浜住吉町に住吉町教会を建設することにもなります。

牧師ではなく、宣教師として日本に来たヘボンさんでしたが、17年後に教会を建てるまでになったのです。

当時キリスト教には勢いがあり、教会員は200名を越えるまでに膨れ上がり、当初の木造家屋ではおさまらなくなってきたそうです。

横浜自体も人が増え、すでに12万人の人口となり、将来、大都市になる可能性を予感させるものでした。

大人数を収容できる、大きな教会堂が必要となり、ヘボンさんは故郷アメリカに献金を募りに戻ることになりました。ヘボンさんの募金活動と事業家の友人たちの献金により、資金が集まり、尾上町に新しい教会堂が建設できたのです。

フランス人の建築家によって建てられた教会堂は美しく、また丈夫で、火災などで消失しなくてすむようレンガ造りの立派なものでした。

名前も指路教会と改められ、牧師にはヘボン塾出身で、ヘボンさんとともに「聖書辞典」を編纂した山本秀煌を迎え、新しいスタートを切ることになったのです。

この教会では、当時としては珍しい、一般の人々のための特別伝道集会が開かれ、たくさんの悩める人が訪れたようです。

残念なことに、その後1923年の関東大震災により、この教会堂は倒壊してしまい、現在建っている横浜指路教会の建物は建て直されたものです。

しかしながら、ヘボンさんの遺志は神の家という形でも、現在の横浜に、なおしっかりと生き続けているというわけです。

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