帰郷〜再びアメリカへ

1892年、指路教会の建堂式が行われた年にはヘボンさんは77歳になっていました。

日本に骨を埋めるつもりでお墓ももっていたヘボンさんでしたが、奥さんのクララのリューマチがひどく、日本の冬の気候は特に辛いものとなっていました。

ヘボンさん自身もリューマチには苦しめられ、足を引きずって歩く状態で、とうとう帰国を決心することになります。

1859年以来33年、日本の伝道のために生きてきたヘボンさんにとって、日本を離れることはとても悲しいことでしたが、見送る日本人にとってもまた寂しいことでした。

度重なる送別会が開かれ、これまでのヘボンさんの業績に感謝する言葉、別れを惜しむ言葉に後ろ髪を引かれながら、夫妻はアメリカへと旅立っていきました。。

アメリカでは暖かいカリフォルニアでその冬を過し、その後ニューヨーク郊外のイーストオレンジという場所で亡くなるまでを過しました。

奥さんのクララが亡くなったのは1906年の年、その5年後ヘボンさんも天に召されました。96歳でした。

不思議なことに、ヘボンさんが亡くなったのは9月11日の午前5時でしたが、日本時間で同じ11日の午前5時という時間に明治学院に建設されていたヘボン館が原因不明の火事で消失するという事件がありました。

焼け跡では亡くなったヘボンさんを偲びながら、祈りが捧げられたということです。

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